繋いだ手からこぼれ落ちてゆく
ひまができるとツイッターを開きそうになってハッとしたのは初日くらいで、今はもうすっかり慣れつつある。気心のしれたひとたちとの交流だけにとどめれば情報や意見の洪水に疲れることもないのかもしれないけれど、やっぱり一定の緊張感をもってSNSを使いたいという気持ちのほうが強いので、これからもときどきこうやって休みをとってまた有象無象のいる場所に戻っていくというのをくりかえしていくのだと思う。
わたしは自分にとても甘いから、攻撃をうけない安全なところから辛辣な言葉を投げ続けていると、それがあたりまえになって感覚がにぶってしまう。言葉の選び方や考え方が自分に都合のよいほうへかたよってしまう。そしてなかなかそれに気づかず、井の中の蛙ちゃんになってしまうのだ。普段は小さな水たまりで生活していて大海に出ることなどない人生であっても、それが確かにあることを肌でひりひり感じながら言葉や行動を選べるひとでありたい。
とはいえ、心地よいコミュニケーションがとれる大好きなひとたちとのやりとりはとても恋しいので、来週にはそうっと戻る。それまではのんびり過ごそう。
きょうの書写は「智恵子抄」と「繋いだ手から」