ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

流してた涙も 語る声も オーケストラ

大人になってからというもの、わたしのまわりにはがんばらなくても意思の疎通がだいたいうまくいくひとしかいなかった。もちろんそうじゃないひともいたけれど、こちらの心や日常を侵食するほどの影響はなかったので、ちょっと愚痴るとか、距離をおくとかすればどうにかなることがほとんどだったように思う。だって大人のわたしは付き合うひとをある程度選べるから。自分の平和を乱すようなひととは華麗にさようならすればいい。もともと多くのひとと交流をもつ生き方をしてこなかったうえに、無理をしてあわないひとと付き合うことをやめたわたしは、長いあいだ安全でぬくぬくとした場所にいたんだなと思う。ゲームをするようになるまでは。

わたしの毎日に「ゲーム」という新しいファクターが加わったことで、わたしと交わるひとたちの円もうんと増えた。スプラトゥーンをするひとたちの円、サーモンランをするひとたちの円、フォートナイトをするひとたちの円、APEXをするひとたちの円。これまで付き合ったことのないひとたちと、深く浅く薄く濃くコミュニケーションをとるうちにいろいろなことが起きた。いいことも悪いことも。がんばらなくても通じた言葉が通じないというのはとても大きな衝撃だったし、ずっと楽をして生きてきたから苦しくてしかたなかった。なんでこれを伝えるためにこれだけの時間や労力をかけなくてはならないのかと虚しくもなった。ゲームを楽しむという目的においては欠かせない彼らの存在が、コミュニケーションにフォーカスしたとたん苦しいものになるなんてこと、数年前のわたしには想像もつかなかったことだ。

だけどわたしは数年前の自分に戻りたいとは1ミリも思わない。がんばらないと意思の疎通がうまくいかないひとの中にも大切だと思えるひとたちがいる。それはとても大きくすばらしい変化だと思う。ときどき苦しくなってしまうし、疲れ果てるときもあるけれど。違うことを受け入れながら付き合っていくことも十分可能だということを体験をもって知れたのは、とても尊いことだと感じている。

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きょうの書写は「ラン」と「オーケストラ」

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