ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

だから僕は笑ってほしいんだ

いきものがかりといえば「ありがとう」ばかり歌ってしまうけれど、「笑顔」という歌も大好きだ。歌詞がとてもいい。聖恵ちゃんの素直でのびやかなボーカルは、歌詞に込められたメッセージを両手でどうぞってしてくれているみたいで、こころにしみる。あと、MVもすごくいいんだ。いろんなひとのいろんな笑顔がとてもいい。

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こどもたちがまだ小さかった頃、通っていた幼稚園の役員活動や、お母さんたちとのおつきあいでストレスをためていたわたしは、家に帰ると話すのもおっくうになったり、ごはんを作る気持ちになれなかったりすることがよくあった。こどもたちにしてみれば、幼稚園や公園ではお母さんたちとニコニコして話していて、自分たちにも優しく接してくれるお母さんが、家に帰ったとたん急に笑わなくなって、言葉も態度も冷たくなるなんて、恐怖でしかなかったのではないかと思う。

その頃のわたしは、お母さんとしてうまくやれる自分を証明したい気持ちがとても強かったのだと思う。お母さんたちや地域のコミュニティにもうまくなじみ、まわってきた役員仕事はさらっとこなし、こどもを含めた家族ぐるみのおつきあいができる友だちがいるような、それを自然にできるお母さんでありたかった。地域やあらゆるコミュニティから孤立していた自分の母親のようにはなりたくなかった。その思いがあまりにも強すぎて、外向きの自分をよくみせることに力を使い果たしていたのだと思う。

でも、ある出来事をきっかけにすっぱりやめた。家族ぐるみで仲良くしていた近所のお母さんが、わたしの知らないところで根も葉もない嘘を言いふらしたり、間違った情報をあたえてわざとうちのこどもたちに失敗させ、それを優しくカバーしてなにごともなかったかのようにおさめたりしていたことがわかったのだ。それらはすべて、そのひとの印象をよくみせるような、優しくて気がきく素敵なお母さんと思わせるような行動だった。そして、なにも知らないわたしは、そのひとの優しさに対してお礼もいわない、空気が読めない、めんどくさいお母さんだと思われていたのだ。疑問に思ったお母さんが声をかけてくれたおかげで、そのひとがしていたことがすべて明るみに出て、すったもんだの末に一家で遠くの町へ引っ越していった。聞いた話によれば、持ち家を売って引っ越すことになったのはこれが2度目のことだったそうだ。

そのひとは、とてもおしゃれで、いつもきちんとした身なりをしていて、言葉づかいも丁寧で、謙虚で落ち着いた雰囲気のおとなの女性という印象だった。でも、いろんなひとに対して行われていた悪行の数々が明らかになっていくにつれて、その表情は鬼のような険しいものになり、まわりを威嚇するような目つきや粗暴な口調に変わっていった。化けの皮がはがれた彼女の醜さをみて、わたしはこころの底からバカバカしくなった。外向きの自分をがんばりすぎるとこうなるのなら、がんばる必要なんてない。そんなことが原因でこどもたちを転校させ、家を捨てることになるなんて、バカバカしいにもほどがある。ああはなりたくない、絶対にと思った。

それからのわたしは、憑き物が落ちたようにがんばらなくなった。まずは家族に優しくできるように、笑顔をみせられるように、無理のない範囲で、丁寧にひとづきあいをするようになった。いちばん大事な家族に優しくいられることを優先するようになったので、つきあいが悪くなったと思われているかもしれないし、いつもゲームばっかりしているお母さんと思われているかもしれない。でも、それでいいんだ。ゲームばっかりしているのはほんとうだし、好きなように感じて好きなように思っていてくれればいい。どう思われていても、わたしはわたしに任せられた仕事を丁寧にこなすだけだし、お世話になったひとに丁寧に挨拶をするだけ。規模は小さくても、出会うひとやものやことに対して誠実に向き合っていれば、どう思われるかについては手放しちゃっていいと思えるようになった。

大切なひとに一番いい自分をみせたい。大切なひとに一番優しくしたい。大切なひとに一番の笑顔をみせたい。わたしの行動を決める基準はいつもそれだ。もともと少ないお友だちはもっと少なくなったし、家族ぐるみのおつきあいもとんとなくなってしまったけれど、それでもあの頃のわたしより、今のわたしのほうがうんと好きだ。そう思える今を、とても気に入っている。