ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

笑顔をみせて 今を生きていこう

アンジェラアキさんの手紙は、感情をこめて歌いすぎると泣いてしまう。特に「大人の僕も 傷ついて眠れない夜はあるけど」のあたりは、気をつけていないとほんとうに泣いて歌えなくなってしまう。

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わたしは小さな治療院で働くスタッフだ。それ以外にもうひとつ、文章を書く仕事をしてる。どちらかというと文章を書くほうがメインなのだけど、放っておくとどこまでもインドアな人間なので、社会との接点をキープする意味で外に働きに出ている。その治療院の募集要項には、子育て中のママやパパを応援したい、そのためのお手伝いをしてくれるスタッフを募集していますって書いてあって、テンプレートじゃない思いのこもった文章にひかれて応募した。そして、すぐに採用が決まった。もう10年前のことだ。

10年のあいだ、わたしは数えきれないくらいたくさんの赤ちゃんを抱き、遊び、寝かしつけてきた。赤ちゃんを連れて来院されるのは主にママが多い。専業主婦のひともいるし、育児休暇中のひともいる。肩や腰、骨盤がつらくてしかたないぼろぼろの状態でくるひともいれば、そろそろ産後の骨盤ケアがしたくて〜♪と出産後とは思えない体型で軽やかにくるひともいる。つらいひとの痛みは楽になってほしいと願い、産後の骨盤ケアはママの常識って思えるひとには、まわりがなにをいっても罪悪感なんて1ミリも感じなくていいから、そのままでいてほしいと願う。口には出さない。こころのなかで強く願いながら赤ちゃんを抱いている。

そんなわたしをみて「赤ちゃんを預けてママがマッサージ受けるなんて、いいご身分ね〜」と言うひとがいる。本人のまえでは「かわいいわね〜何ヶ月?」と優しく声をかけるのに、いなくなったとたんひそひそとそんなことを言い出す。そうゆうとき、わたしはつとめて笑顔でこう伝える。「先生はママたちがからだの痛みを我慢せず、元気なからだで赤ちゃんのお世話ができるようになってほしいと願っているんです。そしてわたしはママたちが安心してマッサージを受けてもらうために雇われてるので、ママと赤ちゃんがきてくれないと仕事がなくて困るんですよ。」って。実際はほかにも仕事はたくさんあるので困りはしない。でも、院のポリシーをやわらかく伝えることで、ママたちがひけめを感じることなく来院できて、それを見かけるご年配の方がその光景をあたりまえに思えるよう橋渡しするのも、わたしの仕事だ。と勝手に思っている。

Twitterのように多くのひとの声が集まる場所では、社会のしくみや政治に対していろんなひとたちが意見を主張し、怒り、戦っている。大きな組織や時代の流れを変えるためには、ひとりひとりの怒りや抵抗を集めたもっともっと大きな力が必要だから、それはとても自然なことだと思う。作家がみずからの体験から芽生えた決意のエッセイを出したように、これからはきっと勇気をだして声をあげていくひとたちが増えていくだろう。それはとてもすばらしいことだ。じゃあわたしも、って手をあげるひとがひとりふたりと増えていけば、動かないとあきらめていた岩も動かせるかもしれない。

ただ、ひとには向き不向きがある。できることとできないことがある。こころを燃やして巨悪と戦うひともいれば、それを支えるアオイちゃんみたいなひともいる。わたしはどちらかというとアオイちゃんなのだと思う。小さな治療院に来るママたちや、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、おにいさん、おねえさん、こどもたちと接するなかで、もっと世の中がよくなりますように、もっとみんなが楽に息をして暮らせますようにと願いながら、いっしょうけんめい種をまいている。いつかその種が芽吹いて、きれいな花が咲いて、実がなったら、今度はまたその種がひとからひとへ、風にのって広がっていくかもしれない。そんなふうに、目立たなくても、地味でも、自分にできる小さなひとつひとつを積み重ねていくことで変わる未来がある。わたしはそう思ってる。