ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

みんなちがって、みんないい

こどもたちがまだ小さい頃、うるさいCMもなく、安心して流しっぱなしにしておけるEテレは、わたしにとって癒しのチャンネルだった。そのなかでも大好きだったのが、にほんごであそぼだ。季節にあわせた美しいにほんごの詩や俳句、短歌などを、朗読や寸劇、かわいい歌で、おしつけがましくなく、楽しく表現してくれるのが大好きだった。

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母の深夜徘徊や病院通いに付き合いながら必死に勉強して合格を勝ち取り、家や家族から逃げ出すことに成功して大学生になったわたしは、ふんわりほんわりしたお花畑のような同級生たちに驚き、絶望した。頭ではわかっていたはずなのに、なんの心配もなくしあわせに成長してきたひととは、なにをしても、なにを話しても、合わない。そう感じているのはわたしだけで、彼女たちはいつもにこにこほがらかに笑っていた。それがいっそうわたしを追いつめた。なんて嫌な人間なんだ、なんて心の狭い人間なんだと自分を責めた。

一度だけ我慢できずに言ってしまったことがある。「あなたのようになんの心配もなく自分のことだけ考えてこられたしあわせなひとばかりじゃないんだよ」そう言ったときの彼女の顔は今でも忘れられない。ごめんねと謝る彼女に、こちらこそごめんねと言いながら、でもきっとあなたとは一生分かり合えない、と思っていた。若かった。未熟だった。

今ならわかる。自分のことしか見えていなかったのはわたしも同じだ。わたしはわたしのことしか見えていなかったし、こんな風にがんばって生きてきたわたしを、誰かに知って、認めてもらいたかったんだと思う。まるでそんな風に生きているひとなんていないかのように、遠くの物語のなかのおはなしかのように思わないでほしかった。結局、自分のことしか考えていなかったのはわたしのほうだった。

みんなちがって、みんないい。言葉でいうのは簡単だけど、こころからそう思うのはとても難しい。でも、みんなちがうということを知ることくらいはできる。みんないいとは思えなくても、それぞれ違う世界線で生きていて、そのなかでいろんなことを思い、考えていることを知っていれば、あなたはそう思うのねオーライ、わたしとは合わないけどって思える。あれから20年たった今でも、まだそんなことを言ってるわたしは、まだまだ未熟だ。いつか、みんないいと思えるひとになれたらいいなぁ。なれるかな。なれるよな。