ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

失うものや諦めるものは確かにどれも輝いてみえるけど

はじめてPretenderを聴いたときの衝撃は今も忘れられない。もしかしたら、若いひとたちの音楽をまた聴きたくなったきっかけの1つは、Official髭男dismだったのかもしれない。アップテンポで斬新なリズムと音が洪水のように押し寄せてくる、若さというエネルギーにあふれた流行の音楽はとても魅力的だけれど、悲しいことにずっと聴いていると疲れてしまう。

そうやって聴かず嫌いがすこしずつ増えていくなかで出会ったのがPretenderだった。こんな風に、こころの真ん中にすーっと拳を伸ばしてくるような、ド直球の言葉と音を奏でられたら、だれだって一発でノックアウトされてしまう。わたしにとってOfficial髭男dismとの出会いは、脳天を直撃する優しいパンチのようなものだった。

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わたしは、グループやコミュニティに属して何かをするというのがあまり好きじゃない。特に、女性だけで構成されたグループがとてもとても苦手だ。偏見なのはわかっているし、そうでないものがあることも頭では理解しているけれど、女性しかいないグループはどうしてもこわい。表面上は仲が良さそうなのに、裏では悪口をいったり、足をひっぱったりするひとがでてくるから。そんなことをするのは学生のうちだけかと思っていたけど、大人になってからもそんなことばかりだったので、もう嫌になってしまった。いまではもう、便宜上とりあえず属しておくということすらしなくなった。

だからといって、ひとが嫌いなわけじゃないんだ。同じひとやものやことが好きなひとと、それがどれだけ尊いか、すばらしいかについて話すのはとても楽しい。つらいことがあったとき、悲しいことがあったときに声をかけてくれる優しいひとには、そのひとがつらいときや悲しいときに絶対に声をかけたいと思う。ただ、何かを目的に、何かを掲げて、ゆるかったりきつかったりする約束ごとのなかで、グループや団体に属するのが苦手なのだ。ゲームでいえばクラン、お母さん仲間でいえば仲良しグループLINEのような。

ただ、自分がそうゆうグループやコミュニティでも楽しくすごせるひとだったら、人生ちがってたかもしれないなぁとは思う。グループにはグループの良さがきっとあるだろうし、いろんな価値観や考え方にふれることで成長できることもあるだろう。気があうとかあわないとかを超えた絆で結ばれた仲間ができたかもしれない。ふるさとに帰ったときに会う仲間とか、中学時代のクラス会とか。そういうものがあたりまえにあって、今も大事にできているひとをみると、うらやましいなぁと思う。わたしもそうだったらよかったなぁと思う。

でも、大丈夫。わたしはわたしが一番手に入れたいものは手に入れたし、守りたいものは守れているから、それでいい。この手にないものはどうしても輝いてみえるけれど、この手にあるものは温かく尊いことも知ってる。年末が近づいてくると、毎年同じようなことですこし寂しい気持ちになるけれど、わたしには家族と猫たちと優しいおともだちがいるから大丈夫。そう思いながら、お風呂のなかで大好きなLaghterを熱唱していたらのぼせてしまった。考えごとはお風呂でしちゃだめだな。

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