ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

welcome to the dirty night

みんな心の中から弱って朽ちていく。ほんとうにそのとおりだ。

youtu.be

日記を書いてみよう、とりあえず1ヶ月、と思ってはじめたこのブログ。めんどくさくても、つらくても、疲れていても、毎日書くことで見えてきたことがいくつかある。そのなかの1つは、自分のこころが、自分が思っているよりもろそうなことだ。こんなにも不安定にふらふらしているとは思っていなかった。日記を書くことで、なんとなくやりすごしていたもやもや、泣くのを我慢しているときのような鼻の奥がつんとする感じ、まわりの音が消えてひとりぼっちになったような心細さ、そうゆうぼんやりした不穏の輪郭がくっきりはっきりしてきて、うわーわたしってこんな感じなんだっておどろくことがたくさんあった。それが自分と向き合うということなのだろうけど、びっくりするくらいの修行だった。

そしてもう1つわかったのは、だけどわたしは大丈夫そうだということ。こころがもろくても、欠点だらけでも、毎日毎日しあわせについて考えて、毎日毎日バカみたいに同じようなことを書いているわたしは、自分が思っているよりもずっとしぶとそうだ。つらくなったらおいしいものを食べようとすること、こころの隙間を優しい音楽でうめること、ふわふわのなにかにくるまって休息すること、弱った自分の扱い方はちゃんと心得ているようで、少し安心した。

もしかすると、つらい!もういやだ!がまんできない!って叫びたくなるのは、こころが弱いのではなくて、自分のしあわせを守りたいからなのかもしれない。そのしあわせを脅かそうとするひとやものやことに対して、怒り、憤りながら必死に抵抗しているから痛いし、つらい。だとするならば、つらさや痛みに目をやるよりも、自分が守ろうとしているしあわせのほうにフォーカスしたほうがよさそうだ。つらさや痛みの正体がわかれば、こころが弱って朽ち果てる前に水をやることができるような気がするから。

息をすってはいて、今日もこころにお日さまをあてて水をやる。今夜はぐっすり眠れますように。