ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

声も顔も不器用なとこも

わたしは夫から鼻歌どろぼーと呼ばれている。だれかが歌っている鼻歌を聴いていると、つい合わせたくなってしまうんだもん、しかたない。そんなわたしの血をしっかり引き継いでいるのが長男だ。きのうも、わたしがうろ覚えのドライフラワーを口ずさんでいたら、風のようにさらって続きを歌っていった。

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20代後半のわたしはこどもたちを育てるのに必死で、音楽を楽しむ余裕も、ドラマをみる余裕もなく、からだもこころも疲れきっていた。年齢的には今のわたしより、当時のわたしのほうがドライフラワーやかくれんぼみたいなラブソングを、わたくしごととして切なく、ほろ苦く聴けただろうし、歌えたと思う。だけどきっと、どんなに素敵なラブソングもその頃のわたしの耳には届かなかっただろうし、他人ごとだと心を寄せることもなかっただろう。余裕がないというのは、そうゆうことだ。

今のわたしは、ドライフラワーという曲がとても素敵に聴こえる。切なくはならないし、わたくしごとにもならないけれど、遠い昔のアルバムをめくるような、色褪せたムービーをみているような気持ちになる。声が素敵だな、サビだけでなくサビ前のメロディもいいんだよな、今度カラオケで歌ってみようって思える。音楽だけじゃなく、何かを楽しめる、こころを寄せることができるのは、とてもしあわせなことだね。

カラオケに行きたいな。