ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

君のそばにはもうたくさんの愛があふれてる

YOASOBIの新曲も、鈴木おさむさんの「月王子」も、すごくいい。軽い気持ちで最後まで読んでしまったら、うっかり泣いてしまった。この感覚は、BUMP OF CHICKENかさぶたぶたぶという歌をはじめて聴いたときと似てる。あの歌も、うっかりしていると泣きそうになっちゃうからなー。油断ならない。

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こどもたちが小さかった頃は、いろんなことから彼らを守るためのわたしたちの手が必要で、こどもたちの痛みは自分の痛みのように感じながら生きていた。どこか、一心同体のような感覚があったと思う。でも、こどもたちが成長するにつれて、それは錯覚だということに気づかされる出来事がすこしずつ増えて、やがてはっきりと「このままではいけない」と思うようになった。

わたしたちはおとなだから、こどもが抱えている悩みや、直面している壁を知ったときに、これから起こりうるさまざまなよくないことが想像できる。自分が通ってきた道に悲しいことやつらいことが多かったわたしは特にその傾向が強かったので、先まわりをして心配をし、まだこどもが助けを求める前から手をさしのべようとしていた。

つらい思いをさせたくないし、手遅れになるようなことがないともかぎらないから、こどもたちに降りかかる不幸はすべて払いのけてやりたかった。でも、実際は、わたしに見えていることなんてこどもたちの世界のほんの一部でしかなかったし、わたしが解決してやれることなんてほとんどなかったように思う。もちろん、こどもの力ではどうしようもないこともあったけれど、こどもたちの成長と共に親の出番はどんどん減っていった。

こどもたちが小さかった頃はあんなに自由を求めていたのに、いざ自由を前にするとどうふるまえばいいのか、この不安や心配をどう整理すればいいのかわからなくてとても困った。あのときはほんとうに愕然としたなぁ。自分がどんな人間だったのかよくわからなくなるような感じがした。ちょうど長男が小5とか小6の頃だったと思う。

わたしの心配はわたしのもので、こどもたちの心配はこどもたちのもの。わたしの喜びはわたしのもので、こどもたちの喜びはこどもたちのもの。同じように心配して、同じように喜んでいても、それらは同じではないということを、こころとからだに叩きこむのにはわりと時間がかかったように思う。

どうやってその混沌から抜け出したか。それは、自分の好きなことをする、やりたかったことをする、という単純なことだった。まずはからだを動かす、そうすればこころはいつか追いつくはずだから、とにかく動く。わたしの場合は、狂ったように洋服をつくった。好きな布を買って、好きな形のワンピースをたくさんつくった。そして本を読み、映画を観て、ゲームと出会った。

そうしてすこしずつ、わたしは自分だけのわたしを取り戻し、こどもとわたしを切り離して考えられるようになって、ようやくひとりとひとりとひとりとひとりが集まった家族になったような気がする。今も心配ごとはつきないけれど、彼らの心配は彼らが引き受けてがんばってほしいという気持ちで見守れるようになった。もちろん、必要なときはすっとんでいけるように、目は配りながら。

まだまだ思春期まっただなかの彼らだから、今まで体験したことのない大嵐のような日々がやってくる可能性がないともかぎらない。そうなったら、またおおいに悩んで、泣いて、みんなで知恵をだしあって乗り越えていけたらいいなと思う。

最後に、困ったときや悩んだときにそばにおいておきたい、わたしにとっての強力なおまじないのような本と映画をすこしだけ。こころが落ち着く、頭がすっきりと整理できる、そんなおまじないのようなものは、できるだけたくさん持っておくと安心だよね。

ワンダー 君は太陽(字幕版)

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  • 発売日: 2018/10/10
  • メディア: Prime Video

子どもの自己肯定感を高める10の魔法のことば

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