ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

さよならの速さで顔をあげて

書き仕事をするとき、自分の好きな曲が整理されたプレイリストではなくて、YouTubeで適当な曲を選んで、あとは自動再生にしておいて聴き流すことがよくある。そうすると、自分の好みから大きくかけはなれた曲はあまり流れないし、たまたま聴きそびれていた曲をはじめて聴くことができるなどして、ほどよい発見と安心を得ながら落ち着いて文章を書くことができる。

きのうは、悲しみが怒りへと変わり、雪がしんしんとふりつもるように、しずかにこころを埋めつくす夜だった。仕事をしようかなと考えたけれど、わたしが夜に書く文章はあまりよくないからやめて、「こころを落ち着ける」と検索窓に入力をして、適当な曲を選んで目を閉じた。しばらくして流れてきたのが、ヨルシカのノーチラスだった。

わたしは脊髄反射でものを言われるのが嫌だ。よく考えもせず、衝動的に投げ返された言葉には、思いやりのかけらも感じないから。そうやって吐き捨てられた言葉の痛みは、謝られても消えはしない。

わたしにはいいところ、悪いところ、両方ある。もしかしたら分量としては、悪いところのほうが多いかもしれない。でも、だからといって、きつい言葉やらんぼうな態度を投げつけられていい人間ではない。わたしだけじゃない、あなたも、みんなも、どんなひとも、そうされて当然といえるひとはいない。そしてだれよりも、なによりも、だれかにそうされることを、自分だけは絶対にゆるしちゃだめなんだと思う。

今朝はとても冷えたから、この冬はじめてのストーブをつけた。しずかな部屋の中にしゅんしゅんとお湯の沸く音だけが響いている。今夜はあたたかいものが食べたいな。