ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

柔らかくて優しい声で

こどものクラスメイトが亡くなった。交通事故でも病気でもなく。それ以上の詳しいことは何も分からないし、詮索するつもりもないから、ニュースにはならなくてもこうやって静かに消えていく若い命があるという事実をじりじりと感じているだけだ。

特に仲が良かったわけではなかったけれどたまにマンガの話をしていた子だった、その知らせを知ったときに鳥肌がとまらなかったと話し、その夜はじんましんが体中にでてしまったこどもの様子をみていると、思春期の柔らかいこころには大きすぎる衝撃だったことがよくわかる。そりゃそうだ。教室の風景の中にあたりまえにいた子が、ある日突然いなくなるのだから。

こころの中の不安やいつもと違う感じ方について、すこし多弁ぎみに話すこどもの声に耳を傾けながら、これはちょっとやりすぎるくらいに手厚くケアして保護しなければと思った。普段はロフトでひとりか猫つきで寝ているこどもに、きょうから数日間は寝るときだけでいいからお父さんの隣で寝るようすすめて、彼が好きなごはんをつくり、彼を笑顔にするおいしいケーキを買ってきた。最初は「ひとりで寝れるよ~」と言っていたけれど、家事をすませて寝室をのぞいたらすやすやと夫の隣で寝息をたてていた。

その寝顔をみながら、たとえ英語の点数が悪かったって(とんでもねえ点数だった)、わたしたちにとってあなたがいまここにいること以上に望むことはないということを、全力で伝えなければ。今、それをしなければと思った。

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きょうの書写は「ネジマキ草と銅の城」と「napori」

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Hello/Hello

わたしはひとりっ子で放置子だったので、誰もいない家でひとりっきり暗くなるまで過ごすことが多かった。まわりからみれば広い敷地に建つ立派な家で、自分の部屋があって何不自由ない暮らしをしているようにみえていたと思うけれど、実際は動かない空気のなかでじっと息を殺すように生きるこどもだった。与えられるのは本ばかりだったし、本なら少し自由に買ってもらえたから、ひとりの時間は本を読んで過ごした。その頃から、からだは現実の世界においたまま、こころだけ空想の世界にひきこもるようになった。だから今でも想像するのは得意だ。

想像するのが得意なわたしにとって一番不安なのはよい想像ができないことだ。特にひととの関係で、よいイメージが描けなくなったら終わり。ひとつの言葉、ひとつの行動から想起されるイメージが、わたしのこころを決めてしまう。たとえそれが間違った想像だったとしても、わたしにとってはそれがリアルだから。今までもそうやって生きてきたから、これからもそうやって生きていくんだと思う。

きょうの書写は「よだかの星」と「Hello/Hello」

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形のない言葉はいらないから

いっしょうけんめい気持ちを伝えるのも、伝えても何も返ってこない無言の時間を自虐めいた言葉を吐きながら切り上げるのも、ぜんぶ自分でやらなくちゃいけないのは悲しいを通り越して虚無だ。からっぽだ。なんだかすごく疲れてしまった。春までずっと眠りたい。目が覚めたらめんどうなことは全部終わっていたらいいのに。確定申告とか全部。

きょうの書写は、紙に猫がコーヒーをこぼしてしまったのでおやすみ。きょうの歌は「秒針を噛む」

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春を待つ胸が苦しいのだ

ブログの名前に「おかあさん」という言葉をいれているわたしがいうのもなんだけど、わたしをつくっている主要成分は母親としてのわたしではなくなっている。こどもたちが小さい頃はわたしのすべてが母親成分でできていたけれど、今はさまざまな成分のうちの1つで、順番もうしろのほうだ。だからおかあさん同士の会話で、こどものことを事細かく話したり、心配したりしているのを聞いていると、ああ自分はもうそのステージにいないのだなぁという気持ちになる。さみしくはない。

もちろんこどもたちに興味がないわけじゃない。いつまでもしあわせでいてほしいと願っているし、助けが必要であればできるだけのことはしてやりたい。だけど彼らの人生はわたしの人生ではないから。そうやってこどもと自分を切り離して考えているものとしては、あまりにもあたりまえに「おかあさん」として扱われるとそうじゃないんだよなぁと思ってしまう。高校生になっても親同士がグループLINEで事細かに連絡をとりあう知らせがくるたびに、「すまんな、わたしはもうここに用はない」という気持ちになるのだ。

きょうの書写は「ラプンツェル」と「ラプンツェル

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形に残るものがすべてじゃないように

ちーちゃんぷてちのからみが尊すぎて、切り抜きやアーカイブをみながら笑顔が止まらない毎日だ。いくらでもおかわりできちゃう。最初はちーちゃんのことも苦手だなと思ったし、ぷてちに関しては嫌いだなとさえ思っていたのに、今はもう大好きすぎてたまらない。ずっと2人でAPEXやっててほしいくらい。こうやって好きなひとが増えていくのはとても楽しいね。

きのうきょうといろんなお友達とAPEXをして遊べてとても楽しかった。ソロでまわすと覚悟していたランクも仲間ができて、きょう無事にプラチナに上がった。プラチナ帯で戦った経験があまりないので怖い気持ちはあるけれど、ちょっとずつがんばっていけたらいいなぁと思う。

きょうの書写は「満月」と「花に亡霊」

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空に憧れて 空をかけてゆく

長男はとても洋服が好きで、よくみるアプリはゲームでもyoutubeでもなくWEARというようなひとだ。以前も日記に書いたと思うが、気になるアイテムがあると「これはどう思う?」とLINEを送ってきたり、わたしのところにやってきて画面をみせたりするので、めんどくささは否めないけれどなかなかおもしろい体験をしているなとも思う。

正直いうと長男が好むファッションの良さはよくわからなかった。ダボっとしすぎているようにみえるシルエットのパンツ、どれも同じようにみえるデザイン、とりあえずくすみカラーのような、あまり個性を感じられないものばかりでつまらない。だけど不思議なもので、それらを身にまとった長男はやはり今風のおしゃれな男の子でとても素敵にみえるのだ。ダボっとしすぎているようにみえたパンツも、くすみカラーのセーターも、優しい雰囲気のこじゃれた男の子にとてもよく似合っている。つまるつまらないではなくて、こうやって好きな服を好きなように着て、おしゃれに決まるのが若さのパワーなのかもしれないなと思った。つまらないなんて思ってごめんね。とても素敵だよって伝えようかと思ったけれど、調子にのってどんどん洋服を買いそうなのでこっそりと日記に書くだけにとどめておく。

きょうの書写は「風立ちぬ」と「ひこうき雲

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繋いだ手からこぼれ落ちてゆく

ひまができるとツイッターを開きそうになってハッとしたのは初日くらいで、今はもうすっかり慣れつつある。気心のしれたひとたちとの交流だけにとどめれば情報や意見の洪水に疲れることもないのかもしれないけれど、やっぱり一定の緊張感をもってSNSを使いたいという気持ちのほうが強いので、これからもときどきこうやって休みをとってまた有象無象のいる場所に戻っていくというのをくりかえしていくのだと思う。

わたしは自分にとても甘いから、攻撃をうけない安全なところから辛辣な言葉を投げ続けていると、それがあたりまえになって感覚がにぶってしまう。言葉の選び方や考え方が自分に都合のよいほうへかたよってしまう。そしてなかなかそれに気づかず、井の中の蛙ちゃんになってしまうのだ。普段は小さな水たまりで生活していて大海に出ることなどない人生であっても、それが確かにあることを肌でひりひり感じながら言葉や行動を選べるひとでありたい。

とはいえ、心地よいコミュニケーションがとれる大好きなひとたちとのやりとりはとても恋しいので、来週にはそうっと戻る。それまではのんびり過ごそう。

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きょうの書写は「智恵子抄」と「繋いだ手から」

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