ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

また、しわをあわせて

不機嫌やイライラは誰かにぶつけるものじゃなくて、自分で何かをしたりしなかったりして浄化するものだと思っている。自分だけでなんとかできないなら、医療やひとに頼るしかない。もちろん完璧な人間などいないので、つい誰かに八つ当たりしてしまうことや、自分でも気づかないうちにイライラを振りまいてしまうこともあるだろう。わたしにもある。でも勘違いするな。言い訳をするな。それは決して「していいこと」ではないし、「にんげんだもの、しかたない」と自分勝手に自分を赦していいものでもない。ぶつけられた側がさまざまな感情を経て赦すときに、はじめて赦されるのだ。

わたしは今までもこれからもずっと、誰かの不機嫌やイライラを全身全霊で受け止めるサンドバッグにはならない。それがどれだけ大切な家族でも、友達でも。もしそれを赦したらどうなるか?だんだん殴る力が強く激しくなって、そのうち受け止めきれなくなったサンドバッグにイライラしはじめる。そしてもっと殴っても倒れない頑丈なサンドバッグを求めだす。そんな負の連鎖に巻き込まれるのは絶対に嫌なのだ。

心をコントロールするのは難しい。だからこそ、制御できなかったとき、間違ってしまったとき、言いわけをせずに謝るひとでありたい。そして2度と繰り返さないようにどうすればいいか考えて、行動できるひとでいたい。自分だけではどうしようもないとき、誰かに助けを求められるひとになりたい。

ひさしぶりの日記が不穏で笑っちゃう。

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めぐる季節の中で生きていくということ

きのうTwitterを眺めていたら「Protect your daughter,Educate your son」と書かれた画像が流れてきた。そのTweetは画像のみでテキストは一切なかったので、そこに込められた思いや背景はこちらが勝手に想像するしかないという前提で感想を述べると、あんまり好きじゃない考え方だ。女だろうが男だろうがみんな守るべきだし、男だろうが女だろうがみんな教育するべきだと思うからだ。わたしなら「Protect your daughter child,Educate your child」とする。

SNSなどを中心に、女性に対する根強い差別的考えや慣習に対して、女性自身が声をあげやすくなってきたのはとてもとてもよい流れだと思う。でもその声の中には「それは逆に男性を差別しているのでは?」というものもある。怒りや憤りを表出させて差別に立ち向かうのは、立場を逆転させるのではなく平らにするのが目的なはず。戦う相手や目的は常に見失わないようにしたい。

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刺さった枯れ木に注いだ火

何かひどいことに遭遇したときや、理不尽なことをされたときに、証拠写真を撮ったりメモを取ったりするのは当然のことだ。交通事故とか、いじめとか、何かの被害にあったときなどは特に。でもそれってSNSを使って不特定多数のひとたちに知らせて「こんなひどいことする人がいるんですよ!信じられます?」って広めるためにすることじゃないよなと思う。

まずは当事者同士で解決を図る、そのためにできることをする、それでも相手が真摯に対応しない場合や、バックレるそぶりをみせる場合は、第三者に間に入ってもらう。物事を解決するための順番をすっ飛ばして、まっさきにSNS上で晒すやり方は嫌だなと思う。正しいとか間違っているとかじゃなくて(それはわたしが決めることじゃない)、シンプルに好きじゃない。

何かがあったときに誰かにわかってほしい、悔しさや悲しさ、怒りや憤りを共有したいというのはとてもよくわかる。だれかに「ひどい!」「そんなことするなんて信じられない!」って言ってもらえたら、自分のなかのそれらの感情に少し区切りがついて、溜飲が下がることもあるから。でも…証拠写真を添付したり、手紙やメッセージを無断転載したりするのはもう少しよく考えた方がいいのでは?と思う。

当事者同士での話し合いや謝罪の機会をすっとばすということは、とてもとてもこわいことだ。失敗や間違いを許さない、謝罪や反省の機会を与えない、それはつまり常に相手に完璧を求めるということだし、自分にも求められるということ。もちろん謝っても許されないことはある。それでも安易に晒す、炎上させる、そのうえで叩くというやり方がスタンダードになるのはこわいことだと思う。

そんなことを感じた1日だった。

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諦めの悪い私の癖みたいで

おそるおそる心のリハビリをしている感じ。ときどき癇癪をおこして、しばらくして落ち着いたら自己嫌悪におちいって、落ち込んでを繰り返している。とはいえ、ごはんはとてもおいしいし、夜はたくさん眠れているから大崩れはしないと思う。仕事でもゲームでも、自分がちゃんと人の役に立っていて、必要とされていることを感じられないと、やる気の泉はいつか枯れる。そのことを忘れないようにしたい。

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また夢に負けて、昨日を愛おしんで

いいことと悪いことがいっぺんにやってきたような1日だった。もともと心が瀕死状態だったので、プラスマイナスでいうとマイナスだけど、いいことのほうを書いておくことにする。

夫に頼まれたライティングの案件を仕上げて渡したら「想像以上の出来でほんとうにすばらしい!また同じような案件があったら頼みたい」と高く評価してもらえた。妻としてではなく、文章を書く人としての仕事を認められたのがすごく嬉しくて、ちょっと泣きそうになった。やっぱり褒められたり、喜んでもらえたり、役に立ったりするのはモチベが上がる。

そのあとにがっつり落ち込むようなことがあって結果的にマイナスで終わったけれど、この嬉しい出来事がなかったら立ち直れないくらいにズッタズタのボッロボロになっていただろうから、いい仕事をした自分と最上級の褒め言葉をくれた夫に感謝しようと思う。

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小さな歪みがいつかあなたを

まだまだ心は低空飛行。ちょっとしたところでくじけそうになる。伝えたいことがうまく伝わらないことに絶望しそうになるけれど、なんとか崖っぷちでたえている。ゲームすらあまり楽しめないのはだいぶ重症だ。

呑まれてなくなってしまわないように、必死で耐えている。

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