私の味方をしてよ
ことあるごとに夫やこどもといまの胸の内を共有しあっている。数日たってから込み上げてくる思い、気づく後悔などいろいろ出てくることもあるし、もう大丈夫だろうなんていうことはきっとないから。いつでも聞くからいつでも言いなというスタンスを柔らかく強くみせていこうと思っている。押し付けるわけじゃなく、押し寄せるわけでもなく、どんと構えて。親としてのなにかというよりは、わりとシビアな環境を生き抜いたサバイバーとしての「大丈夫」を見せたい。
いまはとても必死にこどもの心を守るほうに力を注いでいるけれど、ふとしたとき、たとえば空がどこまでも澄んで遠くの山々がくっきりと美しいときや、良い香りのコーヒーが漂うキッチンに立ったとき、亡くなった子のご家族のことが思い浮かんでぼうっとしてしまう。連絡をとるほど親しくはなかったけれど、学校で会えばこどもの近況や役員活動の愚痴などを語り合っていたから…。でもわたしの心のあれこれなんてどうでもいいのだ。みんなの心がすこしでも穏やかで、おいしいものをおいしいと感じられて、美しいものを美しいと感じられる日がなるべく早くきてほしい。そんなに簡単なことじゃないことは重々わかっているからこそ、強く強く願う。
きょうの書写は「小さなバイキングビッケ」と「桜が降る夜は」
君が詠む歌や 一輪草
ひさしぶりにリコーダーを吹き始めたら楽しくなってしまって、ゼンオンのバロック式ソプラノリコーダーを買ってしまった。使っていたのがジャーマン式だったのでファとファ♯の運指が違うんだけど、音質が微妙に違ってておもしろい。
小さい頃からピアノよりもリコーダーが好きだった。ひとりで家にいるとき、母の部屋からフォークソングの楽譜を持ち出して、神田川や22才の別れなどを吹いて覚えたりした。運指表と楽譜さえあれば、聴いたことがない曲を知ることができる喜びがそこにはあった。もちろんピアノでもよかったのだけど、自分の部屋で自分だけで楽しめるリコーダーは、わたしにとってちょうど良い楽器だったのだ。
それから何十年も経ったというのに、わたしはいまだにリコーダーでいろんな曲を奏でている。人間の本質とかいうものは、たいして変わらないものだなぁと思うし、どんなに過酷な環境であっても楽しみさえあれば生きられるのだとも思う。いろんな能力が欠けているわたしだけれど、ささやかな楽しみを見つける能力に長けていたのが、この人生最大の強みなのかもしれない。こどもたちにも、ぜひそうゆう楽しみがあってほしいと願う。
きょうの書写は「ネジマキ草と銅の城」と「夜行」
柔らかくて優しい声で
こどものクラスメイトが亡くなった。交通事故でも病気でもなく。それ以上の詳しいことは何も分からないし、詮索するつもりもないから、ニュースにはならなくてもこうやって静かに消えていく若い命があるという事実をじりじりと感じているだけだ。
特に仲が良かったわけではなかったけれどたまにマンガの話をしていた子だった、その知らせを知ったときに鳥肌がとまらなかったと話し、その夜はじんましんが体中にでてしまったこどもの様子をみていると、思春期の柔らかいこころには大きすぎる衝撃だったことがよくわかる。そりゃそうだ。教室の風景の中にあたりまえにいた子が、ある日突然いなくなるのだから。
こころの中の不安やいつもと違う感じ方について、すこし多弁ぎみに話すこどもの声に耳を傾けながら、これはちょっとやりすぎるくらいに手厚くケアして保護しなければと思った。普段はロフトでひとりか猫つきで寝ているこどもに、きょうから数日間は寝るときだけでいいからお父さんの隣で寝るようすすめて、彼が好きなごはんをつくり、彼を笑顔にするおいしいケーキを買ってきた。最初は「ひとりで寝れるよ~」と言っていたけれど、家事をすませて寝室をのぞいたらすやすやと夫の隣で寝息をたてていた。
その寝顔をみながら、たとえ英語の点数が悪かったって(とんでもねえ点数だった)、わたしたちにとってあなたがいまここにいること以上に望むことはないということを、全力で伝えなければ。今、それをしなければと思った。
きょうの書写は「ネジマキ草と銅の城」と「napori」
Hello/Hello
わたしはひとりっ子で放置子だったので、誰もいない家でひとりっきり暗くなるまで過ごすことが多かった。まわりからみれば広い敷地に建つ立派な家で、自分の部屋があって何不自由ない暮らしをしているようにみえていたと思うけれど、実際は動かない空気のなかでじっと息を殺すように生きるこどもだった。与えられるのは本ばかりだったし、本なら少し自由に買ってもらえたから、ひとりの時間は本を読んで過ごした。その頃から、からだは現実の世界においたまま、こころだけ空想の世界にひきこもるようになった。だから今でも想像するのは得意だ。
想像するのが得意なわたしにとって一番不安なのはよい想像ができないことだ。特にひととの関係で、よいイメージが描けなくなったら終わり。ひとつの言葉、ひとつの行動から想起されるイメージが、わたしのこころを決めてしまう。たとえそれが間違った想像だったとしても、わたしにとってはそれがリアルだから。今までもそうやって生きてきたから、これからもそうやって生きていくんだと思う。
きょうの書写は「よだかの星」と「Hello/Hello」