ゲーミングおかあさん

ゲームと歌とわたし

深い春の隅で

5年間不登校だった息子という増田を読んだ。親の気持ちはさておき、自分の意志を親に伝えて学校に行くことを決められたのが本当によかったと思う。まわりの意向ではなく、本人が言い出して、(親の力も借りつつ)本人が動き出せたのだから、こんなに最高なことはないよね。そのうえで先ほどさておいた親の気持ちを思うと、胸がきゅっとなる。勝手な想像ではあるけれど、ひとつ後悔という名前の荷がおりただろうなと思う。いやほんとうに勝手な想像なので、ぜんぜん違うかもしれないけど。

この増田を読んで思ったことを忘れないように書き留めておくと、やっぱりポイントはコミュニケーションなんだよなと思う。うまくいくときも、つまずくときも、元を辿っていくとだいたいコミュニケーションの問題に行き着くんだよなぁ。コミュニケーションの問題とひとことで言っても、内容は人それぞれなので明確な答えがあるわけじゃない。たとえば、美しく優しい言葉を使って人を不快にしたり攻撃したりしなければ誰とでもうまくいきそうだけど、実際はそんなことないよね。別の何かが逆鱗に触れて人間関係ぶっ壊れることなんてざらにある。

相手と自分のあいだを繋ぐのがコミュニケーションだとすると、その形は人によって変わる。あたりまえのことなんだけれど、多分そこがめっちゃ重要なんだと思う。相手をみる・相手を知る・相手を想うみたいなことをすっ飛ばして、自分のいいと信じる方法のみでゴリ押しコミュニケートしようとすると厳しいじゃん。だって、それがいいか悪いかを決めるのは自分じゃないから。ということはコミュニケーション力を上げたいなら、ある程度の経験値が必要ってことになる。そして経験から学ぶ姿勢と訓練、それらを底上げしてサポートする知識が揃うと、理由はわからないが人とうまくコミュニケーションとれない、みたいなモヤっとした状況からは一歩抜け出せるんじゃないかなと思う。専門家ではないので、あくまで自分はそう思うという話だけど。

わたしが人間関係むずかしーって悩んでいた思春期は、今みたいにオンラインでいろんな人と繋がる時代じゃなかったから、経験を積むことそのものがものすごく難しかった。ひとりっ子で周りには自分に関心のない大人しかいなくて、学校では浮きまくっていじめられたりハブられたりして、それでもなぜか異性にはモテるという偏りまくった環境の中で、独力でコミュニケーション力あげるなんて無理ゲーすぎた。その頃よりは知識も経験も学びもぐっと増えたと思うけれど、40過ぎてもまだまだ下手くそだし学ぶことばっかり。でも学びがたくさんあるのは伸びしろがあるということなので、きっとこれからもわたしは成長できるはずだ。てゆか、していきたい。

だから増田の息子さんも、コミュニケーションがうまくとれなくて人間関係で悩んでいる人も、自分を知って相手を知ろうとする姿勢、足りないものをカバーする知識を得ること、そして経験を積むことをやめなければ、今より良くなる未来しかないと思う。そのなかで自分の考えと合う人、合わないところもあるけれど一緒にいたいと思える人が見つかって、それが友達だったり家族だったり自分にとってかけがえのない宝物になるんだと思う。クソみたいなことばかりだったわたしでさえそうなれたんだから、きっとみんな大丈夫だ。

おなかすいた。

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